現代日本文学において、桜の存在はは単に美しい花というだけでありません。様々な作家が桜を通して人間や社会を描き出してきました。

これらの作家たちが桜をどのように表現し、どのような意味を込めたのかを探ってみましょう。恋愛、生と死、そして日本人のアイデンティティ。自生の山桜から里桜の染井吉野に至るさまざまな桜の物語が咲く【桜の近代小説 その3】です。皆川博子から辻井喬まで6人の作家7作品をご案内します。

▶【桜の近代小説 その1   ▶ 【桜の近代小説 その2

皆川博子 『恋紅』 染井吉野の誕生秘話と女の情念

■皆川博子(みながわ ひろこ、1929年 – )
小説家。日本統治下の朝鮮京城府(現・ソウル)生まれ。東京女子大学外国語科英文学専攻中退。『海と十字架』で児童文学作家としてデビュー後、推理小説・サスペンス、本格ミステリ、幻想文学など様々なジャンルの創作活動を行う。『恋紅』で第95回直木賞(1986年)受賞。
『薔薇忌』1990年柴田錬三郎賞。『死の泉』1998年吉川英治文学賞。『開かせていただき光栄です』2012年 本格ミステリ大賞、日本ミステリー文学大賞。
2015年 – 文化功労者。2022年 – 第63回毎日芸術賞受賞。

『恋紅』

『恋紅』は、第95回直木賞受賞作品で、染井吉野の誕生秘話を背景に、無名の役者に縋りついていく女性の情念を描いています。

■吉原の遊女屋「笹屋」楼主の愛娘・ゆうは、一見華やかな廓(くるわ)中で、花魁の悲哀や新造(しんぞ)たちの裏事情、幼い禿(かむろ)の宿命、奉公人との愛憎など裏側世界も見ながら育っていきます。

ある日、芝居見物に出かけたゆうは、五年前、数え9歳のゆうを救い、優しさで包み込んでくれた旅役者・富田福之助と邂逅します。この無名の役者に添い遂げたい一途な思いをさらに募らせていきます。
ゆうは、醜悪な現実と戦い、傷つきながら、ひたむきな恋心とともに歩んでいきます。幕末から明治へかけての吉原の盛衰を背景に、桜の情景や染井吉野の誕生秘話を織り交ぜながら、物語は進みます。

幼い日の吉原の情景です。↓ 桜の儚さが、遊女たちの一時的な幸せや夢と重なります。

 廓(さと)には、植木職人の出入りが多い。ことに、春三月、仲之町の道ひとすじは、花の宿となる。高田の長右衛門が宰領する染井、巣鴨の植木職人たちが、根付きの花樹を大量にはこびこみ、植えそろえ、月の終わり、花の散りはてるのを待たず、引き抜いてはこび去る。その跡には、五月、溝をひいて菖蒲を植え、  船板でハツ橋をわたし、花開きをする。
仲之町三日みぬ間によし野山
吉原を樹屋(さや)の桜の仮の宿
などと川柳に詠まれている。
(さと)の景色は人の手で作られ、人の手で変えられる。芝居の書き割りのようだと、ゆうは、盛りの花さえ何か淋しい思いで眺める。まして、樹々が抜き去られたあとの索漠としたさまは、いつまでたってもなじめない。しかし、人手で作られる景色を、嫌いなのではない
果は桜もむごき吉原、と玉衣花魁がくちずさんだのを、ゆうはおぼえている。

皆川博子・著 『恋紅』(新潮文庫)

『恋紅』はゆうの幼少から二十代半ばまでのものがたりですが、続編とも言うべき『散りしきる花 恋紅第二部』(1990年)という作品もあります。

有吉佐和子 『非色』が問いかける桜の真の色

有吉佐和子(ありよし さわこ 1931年 -1984年)

本名は「有𠮷」(±の下が長い「𠮷」)。和歌山市生まれ。東京女子短期大学英文科卒。カトリック教徒。小説家、劇作家、演出家。日本の歴史、古典芸能から現代の社会問題まで広いテーマの作品がある『紀ノ川』、『華岡青洲の妻』、『恍惚の人』『複合汚染』などベストセラー作品も多い。

『非色』(ひしょく)


『非色』
(ひしょく)は1964年(有吉34歳)中央公論社 から刊行されましたが、その後長らく絶版になっていました。2020年に河出文庫で復刊されました。(以前は角川文庫)

戦後黒人兵と結婚し、幼い子を連れNYに渡った笑子。人種差別と偏見にあいながらも、逞しく生き方を模索する。アメリカの人種問題と人権を描き切った渾身の感動傑作!

《河出文庫 紹介文ホより》

渡米後に笑子(えみこ)は自身に対するものも含めて、さまざまな差別に出会うことになります。白人やプエルトルコ人、イタリア人、そして黒人同士の問題まで、アメリカにあるとても複雑な人種の混交や変遷が差別となって表れます。重いテ─マを醒めた筆致で読者をひきつけます。

笑子の娘、小学生のメアリイは作文に次のようなことを書きます。私たち三姉妹は何世代にも渡って黒人白人黄色人種いろんな人種が混じって、姉妹であっても少しずつ異なるが、それは素晴らしいことだ、と。これを読んだ母笑子は、自身より下の世代になっていくと、差別から自由になっていくのだと喜びます。しかし後にメアリイにも差別意識が内在していることに気づくことになります。

 

ながい物語の終章で、笑子はワシントン・ポトマック河畔の桜を見に行きます。かつて見た靖国神社の桜と比べて思います。

《 これが桜の花だろうか? 日本の?ポトマック河畔一帯に、一重の桜も八重桜も一斉に咲き誇っていたが、その咲き方はあまりにも猛々(たけだけ)しかった 》

《 これも桜と呼ぶべきだろうか? 》

次第に笑子は、自身が■であることを認めることによって、「優越意識と劣等感が犇いている人間の世間を切拓いて生きること」ができると気づくのです。(■は作品では表現されていますが今は使われない言葉です

《 「ワシントンの桜は本当に素晴らしかったわ」
怪訝(けげん)な顔をする相手に、私は晴れやかに笑ってみせた。 》

引用は有吉佐和子・著 『非色』(河出文庫)より

 

渡辺淳一 『桜の樹の下で』、『うたかた』 エロスと死の境界

渡辺淳一(わたなべ じゅんいち、1933年 – 2014年)

作家。札幌医科大学卒。医学博士。医療現場を舞台とした社会派小説や伝記小説、恋愛小説を数多く手がけて人気を博した。1970年『光と影』で直木賞。80年『遠き落日』『長崎ロシア遊女館』で吉川英治文学賞受賞。2003年には菊池寛賞を受賞。日経新聞に連載の『化身』(1986 刊)『失楽園』(1997 刊)『愛の流刑地』(2006 刊)の三作は大胆な性的描写で話題となり映画やTVドラマにもなった。141冊に及ぶ著作がある,

『桜の樹の下で』

『桜の樹の下で』は1987年から1988年にに連載され、翌1989年に単行本が刊行されました。後に映画化されTVドラマにもなりました。

母と娘が同じ男性を愛してしまうという悲劇と葛藤の中に、美しくも妖しく咲く背徳の美の世界を描いています。

京都の老舗料亭「たつむら」の女将、辰村菊乃は夫とは別居中で、出版社社長の遊佐(ゆさ)恭平と逢瀬を重ねている仲です。昨年大学を卒業したばかりのひとり娘の涼子が、自分の恋人である遊佐と関係を持っていることに気づいてしまいます。

平安神宮の南神苑の紅枝垂れ桜(ベニシダレ)のもとで、遊佐は桜がこんなに美しいのは「桜の樹の下には屍体が埋められている」からだと説明します。遊佐と涼子の会話が続きます。↓

 「でも、屍体が埋まっているのは、枝垂れ桜ではないような気がする」
「なんでですか」
「染井吉野のような、気がしないかな」
遊佐は桜について、とくに調べたわけではない。だが大空に広げた枝一杯に花をあふれさせる染井吉野のほうが、乱れ咲く桜の狂気を秘めていそうである。
「染井吉野は妖しくて、哀しい感じがするでしょう。咲くときも散るときも、一生懸命すぎて切ない」

↑上の会話で「、屍体が埋まっているのは」といっているのは梶井基次郎の小説『桜の樹の下には「桜の木の下には屍体が埋まっている! 」という冒頭の1行です。
作者渡辺淳一は遊佐の言として、「屍体が埋まっているのは、枝垂れ桜ではないような気がする」 と言わせています。梶井基次郎の桜は遊佐の指摘どおり、枝垂れ桜ではなかったようです。梶井が見た桜は世古峡(せこきょう)の断崖に生える染井吉野だったそうです。▶当ページ内桜の樹の下には

さらに、遊佐は枝垂れ桜の印象を、涼子に語ります。

 「それに較べると、枝垂れは・・・・」
そこまでいいかけて、遊佐が黙ると、「なんでしょう?」というように、涼子が細い首を傾けた。
「少し、淫らだ」
「みだら?」
「なにか、淫蕩な感じがしないかな」
遊性のいうことが、涼子にはいま一つわかりかねるようである。
「枝垂れ桜は、花の色が濃くて生ま生ましい」
染井吉野はいくら咲いても淡く、虚ろげなのに、枝垂れには、美しさのなかに毒が潜んでいるようである。
「こうして見ると、紅い花が空から降ってくるようで・・・・・・」
南の庭に入ってすぐの枝垂れ桜は、樹全体が花の山のように盛り上がって見えたが、いま池を前にして見る枝垂れ桜は、春陽の下で血の滝を見るようである。

咲くときも散るときも一生懸命すぎて切ない桜。淫蕩で生ま生ましい桜。その狭間に揺らぐ華麗で妖しい現代のロマンがつづきます。

 

この小説で染井吉野と枝垂れ桜(ベニシダレ)を対峙させた作者は、翌年発表の『うたかた』では染井吉野と山桜の対比を丹念に認めています。↓

『うたかた』

『うたかた』は1989年(昭和元年)読売新聞に約一年間、連載され、翌年90年に単行本(上・下巻)が刊行されました。


作家、安芸隆之と着物デザイナーの浅見抄子は、互いに家庭を持つ身ながら、
密会を重ねています。場面は、早春の伊豆、桜花爛漫の吉野に京都、初夏の石狩平野、室生寺の紅葉、雪深い阿寒・摩周へと……、変わりゆく四季の描写とともに、深く結ばれながらも行き場のない儚い恋愛が濃密に描かれる長編です。

 

 上市(かみいち)を過ぎるとあたりは一段と峻しくなり、行く手の山肌に桜が見えてくる。
「まだ少し早いのでしょうか」
 抄子がつぶやくが、花はほぼ満開に近い。
「山桜は花弁が小さくて花が咲く前に葉がでるので、満開といっても染井吉野とは少し違うかもしれない」
「花が白くて、ひっそりとしているのですね」
たしかに山桜は見た目に派手さはないが、その控え目なところにかえって風情がある。
「染井吉野を、厚化粧をした女とすると、山桜は素顔の美しい女、ということになるかもしれない」
「それでは、染井吉野が可哀相だわ」
「染井吉野は、明治になって東京染井の植木屋さんからつくり出されて、全国に広まったのだから、どこか人工の匂いがする」
「たしかに、あんなに花ばかり咲くのは、不自然かもしれませんね」
「染井吉野は一生懸命咲きすぎて、見ていて苦しくなるが、山桜は心が和む」

渡辺 淳一・著 『うたかた』(集英社文庫)

 

前作『桜の樹の下で』では「染井吉野は妖しくて、哀しい感じがするでしょう。咲くときも散るときも、一生懸命すぎて切ない」と語っていましたが、この小説でもでも同様に染井吉野を表現しています。桜に対する作者の深い観察と、揺るぎない桜観が貫かれているようです。

染井吉野は一生懸命咲きすぎて、見ていて苦しくなるが、山桜は心が和む」(『うたかた』)

 

枝垂れ桜(ベニシダレ)
染井吉野(ソメイヨシノ)

宮本輝 『夜桜』きょうが最後の満開の花が誘う

宮本輝(1947年-)

兵庫県神戸市生れ。1947(昭和22)年、兵庫県神戸市生れ。追手門学院大学文学部卒業。

広告代理店勤務等を経て、1977年「泥の河」で太宰治賞を、翌年「螢川」で芥川賞を受賞。その後、結核のため二年ほどの療養生活を送るが、回復後、旺盛な執筆活動をすすめる。『道頓堀川』『錦繍』『青が散る』『流転の海』『優駿』(吉川英治文学賞)『約束の冬』『にぎやかな天地』『骸骨ビルの庭』等著書多数。

『夜桜』

『夜桜』は芥川賞(『螢川』)受賞後の第一作。短編集『幻の光 』(1979年刊)に収録されています。収録の4作品全てが「死」にまつわるモチーフが潜んでいます

夫の浮気で離婚して二十年、主人公・綾子はまもなく五十歳。昨年一人息子を交通事故で亡くし、大きな屋敷に一人住まいです。

二階の一室を貸してみようかとの気まぐれから、「下宿人お世話します」の張り紙を出します。気が変わり、貸すのをやめようとしますが、満開の桜を見下ろすその部屋に、今夜ひと晩だけ止めて欲しいという青年が現れます。一旦は断わりますが、執拗な懇願と少しの好奇心から一晩だけならと承諾します、青年は女性を連れてきます。ふたりはきょう結婚届を出したばかりの初夜を、庭の夜桜を見下ろすその部屋で迎えます。彼等は心中するのではと危ぶんだ綾子はそっと覗いに二階へ行ってみます、と……。

 

ものがたりの最後で、綾子は一階の縁側に座り、長い間満開の桜を眺め入ります。明日の雨で散ってしまうだろう夜桜に、自身の秘めた女を垣間見るかのようでしたが、それは朧気な儚いものだったのかも知れません。↓このように結ばれています。

  ーー 略 ーー      膨れあがった薄桃色の巨大な綿花が、青い光にふちどられて宙に浮いているように見えた。ぽろぽろ、ぽろぽろ減っていくなまめかしい生きものにも思えるのだった。綾子はとうてい眠れそうにないこの不思議な夜を、桜とともに起きていようと決めた。
星も月も見えなかった。庭石も陶器の椅子も目に映ってはいなかった。夜桜の、開断なく散りつづけるさまだけが心に必みて、生温かい花のしぐれに身をゆだねている心持ちに酔っていた。ーー 中略 ーー 綾子は、そうやっていつまでも夜桜にひたっていた。
さまざまな思いがよぎり、その中にふっと見えるものがあった。ああ、これなのかと綾子は思ってみた。いったい何がこれなのか綾子にもしかとはわかりかねていたが、彼女はいまなら、どんな女にもなれそうな気がした。どんな女にもなれる術を、きょうが最後の花の中に一瞬透かし見るのだが、そのおぼろな気配は、夜桜から目をそらすと、たちまち跡形もなく消えてしまうのだった。

宮本輝 著『夜桜』: 『幻の光』(新潮文庫)に所載

綾子はこれまでに、庭の桜を凝視めて過ごすことはありませんでしたが、今夜は身も心も桜にゆだねて酔い痴れているかのようです。

この短い作品も、やはり桜の妖気に囚われたひとが登場するものがたりでした。

村上春樹『ノルウェイの森』 青春の生々しい桜

村上春樹(むらかみ はるき、1949年 – )

小説家・翻訳家。京都府生れ、兵庫県西宮市・芦屋市育ち。早稲田大学文学部卒業。
大学在学中にジャズ喫茶を開く。1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞、作家デビュー。

❍ 主著に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞受賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『1Q84』(毎日出版文化賞)『ノルウェイの森』、『アンダーグラウンド』、『スプートニクの恋人』、『神の子どもたちはみな踊る』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』など多数。
❍ 『レイモンド・カーヴァー全集』、『心臓を貫かれて』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ロング・グッドバイ』など訳書も多数。
❍ 2006年、フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞。2008年プリンストン大学文学博士号(名誉学位)。2009年エルサレム賞受賞。2009年スペイン芸術文学勲章。2011年カタルーニャ国際賞。

 

『ノルウェイの森』

『ノルウェイの森』は1987年書き下ろしとして、上下巻2分冊で刊行された長編小説です。400万部以上を売り上げる大ベストセラーとなり、村上春樹ブームの火付け役となりました。「自伝的小説」であることを作者は否定していますが、経歴や背景など重なる部分もあります。

1960年代後半の日本を舞台に、ワタナベ・トオルの青春と恋愛を描いた作品です。主人公のトオルは、幼なじみのキズキの自殺後、その恋人だった直子と親密になります。しかし、直子は精神的な問題を抱えており、療養所に入ってしまいます。

一方で、トオルは大学で出会った積極的な女性・緑とも関係を持ちます。彼は直子と緑の間で揺れ動きながら、自身の成長と喪失感に向き合っていきます。療養所で直子と同室だったレイコという気だるい雰囲気を漂わせる39歳の女性とも知り合います。直子がギターを弾くレイコに、よくリクエストしていたのが『ノルウェイの森』でした。

トオルはたくさんのものを失います。喪失と再生、愛と性、孤独と連帯……さまざまな苦悩と成長が時には歪に、時には不安定に、冷静な筆致で描かれていきます。

複雑な心理描写と重いはずのテーマが、随所に諧謔を含んだしかし平易な文体のリズムが、読者の心を捉え、現代日本文学を代表する作品の一つとなっています。

『ノルウェイの森』に、桜に関わる描写があります。

 僕はまだ桜の花を眺めていた。春の闇の中の桜の花は、まるで皮膚を裂いてはじけ出てきた爛れた肉のように僕には見えた。庭はそんな多くの肉の甘く重い腐臭に充ちていた。そして僕は直子の肉体を思った。直子の美しい肉体は闇の中に横たわり、その肌からは無数の植物の芽が吹き出し、その緑色の小さな芽はどこかから吹いてくる風に小さく震えて揺れていた。どうしてこんなに美しい身体が病まなくてはならないのか、と僕は思った。なぜ彼らは直子をそっとしておいてはくれないのだ?

『ノルウェイの森 』下 (講談社文庫)

ここでの桜は「爛れた肉」、病んでいる桜ですね。そして庭に立ちこめるのは甘く重い腐臭です。生々しい描写ではありますが、作者の桜観を垣間見るような気がします。村上春樹の桜も、死とエロスが纏い付く儚さなのでしょうか。

 

↓下は2011年6月にカタルーニャ国際賞を受賞した村上春樹の、受賞スピーチの断片です。日本人の美意識を説明しています。桜をわざわざ観に行くのは儚さの美を確認するがためと説明しています。

 桜も蛍も紅葉もほんの僅かな時間の内にその美しさを失ってしまうからです。

私たちはその一時の栄光を目撃するために遠くまで足を運びます。そして、それらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな光を失い、鮮やかな色を奪われていくのを確認し、そのことでむしろほっとするのです。

村上春樹:「カタルーニャ国際賞」 受賞スピーチの一部

辻井喬 『西行桜』 吉野の空に舞う枝垂桜

辻井喬(つじい たかし 1927年〜2013年)

小説家、詩人。実業家。本名:堤 清二(つつみ せいじ)東京大学経済学部卒。 博士(経済学/中央大学)。元セゾングループ代表。1991年経営の第一線を退き作家活動に専念。父親は西武グループの創業者、衆議院議長の堤康次郎。

1955年に詩集『不確かな朝』以来数多くの作品を発表。詩集『異邦人』(室生犀星詩人賞)、『群青、わが黙示』(高見順賞)、『鷲がいて』(現代詩花椿賞、読売文学賞詩歌俳句賞)、『自伝詩のためのエスキース』(現代詩人賞)、『死について』など。

小説作品:『いつもと同じ春』(平林たい子文学賞)、『虹の岬』(谷崎潤一郎賞)、『風の生涯』(芸術選奨文部科学大臣賞)、『父の肖像』(野間文芸賞)。評伝、評論、エッセイ集:『司馬遼太郎覚書』『私の松本清張論 タブーに挑んだ国民作家』、『新祖国論』、回顧録『叙情と闘争』など

恩賜賞(2006年)。日本芸術院賞(2006年)。日本芸術院会員(2007年)。文化功労者(2012年)。日本ペンクラブ理事、日本文藝家協会副理事長、日本中国文化交流協会会長などを歴任。

『西行桜』

『西行桜』は、能楽から題材を得た4編からなる短編集『西行桜』(2000年/刊行)の巻末を飾る同題の一遍。世阿弥の能楽『西行桜』の曲名そのままに冠したこの作品には、西行の逸話や山家集にある詩が引用されたりします。

本作『西行桜』のヒロイン、チェンバロ奏者・紀美子は滅びゆく旧華族。歴史学者の父親との確執と、時の流れとともに落日にむかう旧華族の悲哀。夢幻と現の狭間に揺らぐ紀美子の世界。

舞台は東京、アムステルダム、パリ、京都、吉野へと......。吉野山を臨む別荘の庭での演奏会。そこには「西行桜」の銘をもつ大きな枝垂桜がいっぱいの花をつけていました。チェンバロの奏でと桜の花はともに吉野の空に舞うのでした。

 会場は吉野町のはずれの、谷に臨んだ台地に城のように建っているもと貴族の別荘の庭でひらかれた。その庭には“西行桜”と呼ばれる大きな技垂桜がいっぱいに花をつけていた。彼女はこの日、スカルラッティなどのできるだけ明るい曲を選んだが、弾いていると谷を渡って吹く風に花びらが舞った。花びらは紀美子にも、聴いている人々にも直紀の肩にも散り掛った。曲が軽やかで典雅であればあるほど、光の過剰から花吹雪が暗く感じられるのを紀美子は不思頭に思った。その暗い光の衾雪(ふすまゆき)のあいだをチェンパロの音が妖精のように舞うのであった。

下の語りは、紀美子の渡欧時代からの音楽指導者であるスヴェーリンク教授の言です。紀美子の父・歴史学者の直樹が解説してくれたことを、教授は仔細に理解しているのでした。

「ここへ来てはじめて日本の人の心のなかにある桜の花が、ただ綺麗だとか、散り際がいいというだけのことではなく、歴史意識や人生を映し出しているのだということが分りました。
その意味では、桜は怖い花でもありますね」
とスヴェーリンクが言い、紀美子は自分の先生が父親の解説を素直に受取ってくれていることが好しかった。

↑これは、そのまま作者・辻井喬の桜に対する思いであるのかも知れません。

「日本の若者よりも、優れた外人の方が本当の美がわかるだろう」、紀美子の父はそう言っていましたが、「日本の若者」の中に、当時の紀美子や父に反発して家を出た兄のことも含まれていたのかもしれません。若き日の作者の確執が重なってみえるようです。

引用は辻井 喬・著 『西行桜』(岩波書店)より

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