紫式部も唸った?イワシの知られざる魅力に迫る!
キラキラ光る銀色の小さな魚、イワシ。古来より日本人の食卓を支えてきたこの庶民的な魚は、実は奥深い物語に満ち溢れているのです。
イワシを巡る文学的、歴史的秘話から、イワシの英語表現の意外な裏話、イワシの謎まで。イワシの知られざるトリビアの数々を、紐解いてまいります。
イワシは単なる小魚ではありません。それは、日本の文化と歴史に深く刻まれた、小さな巨人なのです。
さあ、あなたもイワシの世界に飛び込んで、その魅力を存分に味わってみませんか?
と、ちょっと大げさ過ぎる口上で始めましましたが、実は知ったかぶりの他愛のない与太話です。
すみません。お急ぎでなかったら、おしまいまでお付き合いください。
この動画は[NoLang]で生成したものです。
目次
イワシ大好き!紫式部か和泉式部か
NHKの大河ドラマで「光る君へ」やっていますね(2024年)。『源氏物語』の作者、紫式部の藤原道長への秘めた思いを綴る情熱のストーリーなんですね。毎日曜の放映を楽しみにしている女性視聴者も多いようです。
式部は本当に道長を慕っていたのかとか、二人は恋愛関係にあったのか、史実はどうなのか、などという野暮は申しません。
紫式部と藤原道長の接点や興味深いお話が、『歴史人』というサイトに「紫式部は藤原道長を嫌っていた? 道長のアプローチをあしらった『切ない理由』」という記事がありました。URLを貼っておきます。
実は、紫式部は下魚とされていたイワシが好物だったという話がありまして、こちらをご紹介したいと思うのですが......。雅な恋愛ドラマをお愉しみの方には、これも余計なおはなしではありますが。
紫式部はイワシ大好き ?
紫式部はイワシ(鰯)好きだったというお話がありますが、怪しい話なんでしょうか。
There is a story that Murasaki Shikibu was a sardine lover, but is this a fishy story?
鰯は古代より多く獲れ、食べられていたようではあります。しかし、下魚であるということで、下々はともかく、上流階級社会では見向きもされなかったようです。それでも、密かにイワシの旨さを愛でる上流人もいたのでしょう。このお話では、紫式部もそのひとりだったというのです。
ある日、夫・藤原宣孝(ふじわら の のぶたか)が留守のおりに、紫式部はイワシを食べていました。ところが夫が帰ってきてバレてしまった。そんな卑しいものを喰うのか、といわれた紫式部は、歌で返します。
むかし紫式部、あるとき夫宣孝他出のとき、鰯をあぶり喰たるを、
宣孝かへりみて、いやしきうをゝ食ひたまふと笑ひければ、日のもとにはやらせ給ふいはし水まゐらぬ人はあらじとぞ思ふと詠み侍りしとぞ。
上は『三省録』(志賀理斎・天保11年・1842年)によるものですが、その出典は『市井雑談集』(林自見・宝暦14年・1764年)からの引用だという事です。
上の歌の大意はこんなところでしょう。
「日本では井戸の水を汲んで献上しない人はいないでしょう」(同様に、イワシを召し上がらない人もいないでしょう)
・「岩清水(いはし水)」に魚のイワシ「いはし」を掛けているわけですね。
・「まゐらぬ人」というのは、「お参りしない人」と「召し上がらない人」を掛けているのでしょう。
・「まゐる」はお参り(参詣)の意味と、「食う」「飲む」の尊敬語「召し上がる」(献上」)という意味もあります。
イワシ大好き 、和泉式部か?
ところが、 wikipediaには次のように記されています。
「紫式部は 貴族では珍しくイワシが好物であったという説話があるが、元は『猿源氏草紙』で和泉式部の話であり、後世の作話と思われる。」
wikiによると紫式部ではなく、和泉式部がイワシを食べているところを夫・藤原保昌(ふじわら の やすまさ)に見つかったのだというのです。
この話は、『松屋筆記』(まつのやひっき・江戸後期随筆集・明治41年・1908年刊・小山田与清1783?1847)に
『猿源氏草紙』からの引用だとして「和泉式部鰯をくひし歌」が紹介されています。↓
先ほどの紫式部の(とされる)歌と殆どおなじですね。
さてさてイワシ好きはどちらの式部さんであったか。
紫式部か和泉式部なのか、どちらだったのか......
いま、手許に清水圭一・編『たべもの語源辞典』という本があります。
その中の「イワシ【鰯】」の項にはこのように記されています。
紫式部か和泉式部かわからないが、
いずれにしても、こんな伝説は作り話である。
このおはなし眉唾もの( Fishy story)(Fish story)であったようです。
"Fish story" と "Fishy story"
「釣りの話をするときは両手を縛っておけ」
というロシアの諺があるそうです。開高健の本にしばしば出てまいります。釣った魚や、獲り逃がした魚を話す際、両手で示すそのサイズは次第に大きくなっていく、という釣り人のほら話は世界共通のようです。
英語には"fish story" (フィッシュ・ストーリー)という語があります、「大げさな話、ほら話、眉唾もの」という意味でも使われます。18世紀頃から使われだしたと、辞書にはあります。その由来はやはり、釣った魚の大きさを誇張する釣り人のほら話からでしょう。
"fishy"という形容詞もありますね。この語にも「〔話が〕うさんくさい、いんちきくさい、怪しい、眉唾ものの、如何わしい」などの意味もあります。本来は「魚のような」という意味でしょう。生臭い魚の匂いが不快に感じられることから、「腐りかけているのではないか」「怪しい」「うさんくさい」という比喩的な意味が生まれたのでしょうね。
"fish story" は釣人が漁獲量を誇張するということから、自慢話や冗談めいた話に使われ、
"fishy"は不信感や疑念を表現する際に使用される表現ということになります。
これにもstoryをつけ"fishy story"として例文を作ってもらいました。
■ Fish story:
"Tom claimed he caught a sardine as big as a shark - that's a typical fish story."
(トムはサメほど大きなイワシを釣ったと主張した - それは典型的な大げさな話だ)この例⬆では、話が誇張されているものの、悪意はなく単なる自慢話程度の意味合いです。
■ Fishy story:
"The smuggler's tale about transporting rare sardines seemed like a fishy story to cover up his illegal activities."
(密輸業者の希少なイワシの輸送に関する話は、違法行為を隠蔽するための怪しい話のように思えた)こちら⬆は、「fish story」よりも否定的なニュアンスが強く、話し手の意図や話の内容に対する疑いを含んでいるようです。
イワシの女房詞・鮎にも勝る「むらさき」
イワシを女房詞(にょうぼうことば)※で「むらさき」あるいは「おむら」といいます。
女房詞(にょうぼうことば)は、宮中や院(御所)に仕える女房たちが使い始めた隠語的な言葉です。平安時代後期から鎌倉時代にかけて成立したと考えられています。語頭に「お」を付けて丁寧さを表すものや、語の最後に「もじ」を付けて婉曲的に表現する文字言葉文字詞(もじことば)などがあります。
- 丁寧な表現: 語頭に「お」を付ける、語尾に「もじ」や「さま」を付けるなど、丁寧な表現。
- 婉曲的な表現: 直接的な表現ではなく、比喩や擬音語などを用いて婉曲的に表現。
- 隠語的な表現: 男性には理解できないような言葉を使って、秘密の情報を共有したり、気持ちを伝え合ったりしていました。
おひや(水)、おなら(屁)、しゃもじ(杓子)、ひもじい(空腹である)などなど現代でも現代でも普通に使われている言葉がたくさんあります。
室町時代の風俗を記した『大上臈御名之事』(おおじょうろうおんなのこと)では「むらさき」と、また 江戸時代に編纂された女性用の教訓書『女重宝記』(をんなちょうほうき苗村丈伯・1692年刊)には、女房詞として「おむら」が記載されているそうです。
「むらさき」も「おむら」も紫式部との関連性はないようですが、先ほどの紫式部は鰯が好きだったという説話は、案外こんなところからのこじ付けかもしれません。
「むらさき」がイワシの女房詞である由来は、「鮎にも勝る むらさき」なのだという説があります。イワシを「むらさき」と呼ぶことで、「鮎よりも上等」だと言わしめているんですね。
「鰯をむらさきと云は、あひにまさると云義なり。鮎、藍和訓同」
『梅村載筆』(ばいそんさいひつ・剳記;林羅山1583-1657・口語;藤原 惺窩1561-1619)
「鮎」を「藍」になぞらえて、つまり藍色に勝る色「紫」というわけです。「鮎、藍和訓同」は「鮎(あゆ)」と「藍(あい)」は和訓(日本語の読み)が同じ「あい」だということです。面白いけれど、ちょっと苦しい。
これを揶揄したこのような記述もあります。⇣
「鰯をば、上﨟方のことばに、むらさきともてはやさるる。むらさきの色は藍にはましたといふ縁とや。されば下種らしきいわしも、その人のすきなれば鮎の魚にまさるよのう」
『醒睡笑』(せいすいしょう・安楽庵策伝・笑話集・成立:1623年(元和9年)or1628年(寛永5年))
「イワシは、上流階級の人々の言葉で『むらさき』と呼ばれて持て囃されている。紫の色は藍よりも上等だという関係からだろうか。そういうわけで、下品に見えるイワシでも、その人が好きならば鮎よりも優れているということだね。」
- 上﨟方:上流階級や身分の高い人々。
- むらさき:高貴な色とされていました。
- 下種:身分の低い、粗野な人を意味する。
高級とされる鮎よりも、イワシという安価で一般的な魚を「むらさき」と呼ぶことで高級に見せかける上流階級の習慣を皮肉っています。
他に、イワシが「むらさき」と呼ばれる理由としては
・イワシが集まると海面は紫色になる から、
・鱗を引いたイワシは紫色を帯びている から。
・振り塩をしたイワシはやや暗紫色である
などの説があります。
江戸時代初期発行の『日葡辞書』(1603年-1604年、日本語・ポルトガル語辞書)にもイワシの女房詞が「むらさき」であることが載っているそうです。
寿司屋の隠語で醤油を「むらさき」といいますが、女房言葉ではなく、醤油の色が紫色に近いからでしょう。と同時に江戸時代に貴重であった醤油を、高貴な色の「紫」になぞらえたということであるのかもしれません。*
*醤油を「むらさき」と呼ぶ理由にはこのほかいろいろ説があります。
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- 御所ことばでは、醤油のことを「むらさき」と呼んでいたのが、寿司屋の言葉に取り入れられた。
- 醤油を煮詰める過程で、紫色のような煙が出るため、「むらさき」と呼ばれた、などなど。
好色一代男・世之介も喰った。鰯は日常食
鰯漁は室町時代から戦国時代にかけて発達してきましたが、江戸時代に入ると特に盛んになりました。食用としての需要があったことと、ほしか(干鰯)、しめかす(鰯粕)などが肥料として農業にも利用され始めた事が大きいようです。
元禄15年(1702)生まれの俳人・国学者、横井也有(よこい やゆう)に俳文集『鶉衣』(うずらころも)があります。そのなかに、いろいろな魚について触れた『衆魚賦』(しゅうぎょのふ)という文があります。(板本では『百魚譜』)
鰯(いわし)については、このように記されています。
鰯(いわし)といふ物の味はひ殊にすぐれた共、
崑(こん)山のもとに玉を礫にするとか、多きが故にいやしまる。
たとへ骸は田畠の肥と成とも頭は門を守りて天下の鬼を防ぐ。
其功鰐・鯨も及ぶべからず。
ーー崑崙山は沢山の宝石を産するのだが、その多さゆえ砂利なみに扱われる。同様に、鰯は、味はいいのだが大量に獲れるので顧みられない。ーー
「頭は門を守りて」というのは、鰯の頭を柊(ひいらぎ)の枝に突き刺して魔よけとする、節分の慣習の事です。柊の葉はとがっていますから、鬼の眼を刺し、鰯の頭は臭いので鬼が退散するという言い伝えです。
この風習は現代でも残っています。私が長年通っている店でも、節分には鰯を使った小付けが必ずでます。邪気払いの木呪い(まじない)のようなものですね。それに効果があったのか、とおっしゃるんですか。「鰯の頭も信心から」というじゃございませんか。
イワシ漁が江戸時代に盛んになったと申しましたが、いつの年も大漁というわけではなく、そこには盛衰があったこと、現代と同様のようです。いずれにしましても鰯は江戸時代庶民の日常食でありました。
井原西鶴(1642年・寛永19年- 1693年・元禄6年)41歳の処女作『好色一代男』(1682年・天和2年)では世之介の酒席に赤鰯が登場します。そして西鶴、最晩年の作、町人の大晦日の様子を描いた『世間胸算用』(1692年・元禄5年)では正月の飾り物【幸い木】の縄に赤鰯が吊り下げられた描写があります。
赤鰯とは塩鰯のことでしょう。辞書には、「 塩漬けにし、または干して、油脂が酸化し赤茶けた鰯」とでています。沖から群れを成して来遊するときの鰯は鼻が赤く光り、波が赤くなるので赤鰯といわれるという話も聞きます。どちらにしてもマイワシです。イワシの種類は「マイワシ」「ウルメイワシ」「カタクチイワシ」の3種が代表的なところです。
「ウルメイワシ」は眼が潤んでいるようにみえる処からこの名があります。干物にすると味がよくなるので、専ら丸干しにして流通する事が多いです。
「カタクチイワシ」は口が頭の片側に寄っているのでこの名。顔の下方に口があり「タレクチ」、背が黒いので「セグロイワシ」、「ヒシコイワシ」、「シコイワシ」とよばれるのもこれの種類です。刺身もうまいのですが、鮮度が良ければの話です。小型のものを素干した「ゴマメ」それを煮た「田作り」、「煮干」、「ちりめん」もおおくはカタクチイワシです。
「ちりめんじゃこ」(縮緬雑魚、)や「しらす干し」は、イワシ類の稚魚(しらす)塩水で煮て、干したものです。干し具合(乾燥具合、水分率)によって名前が変わります。塩ゆでしたものを「釜揚げしらす」、➜少し干したものを「しらす干し」、➜カリカリ状態に干したものが「ちりめんじゃこ」ですが地方によって名前が違います。例えば「釜揚げちりめん」➜「中干しシラス」➜「カチリ」などです。
生のちりめんじゃこを「生しらす」、「生じらす」といいます。高知でいう「どろめ」も同じです。
「畳いわし」も江戸時代から作られていたようです。『料理物語』(1643年寛永20年・刊)の鰯の項には、肴としての畳いわしが紹介されています。
畳いわしは静岡の名産品だと、ずっとおもっていました。間違いではないのでしょうが、今回調べて知ったのですが、嘗て宇和島の名産品でもあったようです。江戸時代の俳諧論書『毛吹草』(けふきぐさ・1645年刊・松江重頼,編)に「宇和島鰯」という伊予国の産物が紹介されおり、それは畳いわしのことだという注釈があります。
宇和島では古くからカタクチイワシが沢山獲れたのでしょう。「伊予鰯」という名が、平安時代中期に著された往来物『新猿楽記』(しんさるごうき・藤原明衡)にあるそうです。
鰯売戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)/ 三島由紀夫歌舞伎
来年(2025年)1月14日、三島由紀夫は生誕100年を迎えるのですね。
三島由紀夫には六本の歌舞伎作品があります。「三島歌舞伎」と呼ぶ人もいます。三島歌舞伎が文楽になって1971年に『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』が上演されました。
2010年には『鰯売戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)』が新作文楽となって、国立小劇場で9月4日から20日まで上演されました。(織田紘二:脚色・演出、豊竹咲大夫、鶴沢燕三:作曲)
http://www.ntj.jac.go.jp/member/pertopics/per100903_3.html
『鰯売戀曳網』は『御伽草子』(おとぎぞうし)の一編、『猿源氏草子』 (さるげんじそうし)をもとにした物語です。
イワシ絡みでご紹介しておきます。
猿源氏は鰯売りです。京の五条の橋で見かけた美しいひとに恋わずらい。そのひとは蛍火という遊女。遊女といっても大名高家がお相手の高級遊女。そこで、猿源氏は大名・宇都宮弾正と騙って、家来役としては博労や鰯売りを集め登楼&宴席。首尾よく蛍火の歓心を得て、一夜の契りを交わす。ところが、酒に酔い蛍火の膝枕よろしく転寝(うたたね)をしてしまいます。猿源氏、ついうっかり寝言を。
「伊勢国、阿漕ヶ浦(あこぎがうら)の猿源氏が鰯買ふえい」この寝言は鰯売り猿源氏の売り声。蛍火、実は紀伊国・丹鶴城(たんかくじょう)の姫であった。ある日、姫は外を通る鰯売りの売り声を聞いた。その声が忘れられず、城を抜け出し追いかけているうちに迷ってしまい、悪者につかまって、遊女となったのでした。猿源氏は自分がその鰯売りであると告げます。姫の行方を捜していた丹鶴城の家臣があらわれ、蛍火の身請け金を出します。蛍火、城へは戻らず、はれて二人は夫婦となるのです。二人で鰯売りの売り声をあげながら去っていきます。
『鰯売戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)』を、かいつまんで云えば以上のごとき他愛のない恋物語ということになります。しかし、本来ならばかなわぬはずの恋。その成就までの経緯が、興味深い物語となっています。
圧巻ともいえる場面のひとつは、猿源氏は鰯売りでありながら和歌に詳しく、故事来歴を開陳したりと、謂わば知ったかぶりを披露します。この時代の知ったかぶりはもてたのでしょうかねぇ。当ブログの筆者も知ったかぶりなんですが...。
イワシの英語を詰め込む "sardine" ”サーディン”
イワシは英で"sardine" [サーディン/ sɑrdíːn | sɑːdíːn] ですね。(カタクチイワシはanchovy [アンチョービー/ æntʃoʊvi | ˈæn.tʃə.vi ] )
"pilchard"(ピルチャード,ヨーロッパマイワシ )という単語もありますが、地域によって"pilchard"の定義*が異なっているようなので当ブログでは無視(お手上げw)します。
で、"sardine"ですが、が初めて英語として登場したのは15世紀だそうで、フランス語のsardineの借用語です。その語源はラテン語の「sarda」に遡り、それが古代ギリシア語の "sardínē"、" sardĩnos "ギリシャ語の "Sardinia"' に。やがてフランス語へと伝搬していったようです。
また、イタリアの「サルデーニャ島」(island of Sardinia, )に由来するとしている説もネットなどで見聞きします。曰く、かつて、サルデーニャ島周辺海域では大量にマイワシが獲れたので、サーディンの名がついたというのですが...。しかし古い時代に、ギリシャ人がサルデーニャ島のような遠い場所(アテネから1000 km以上)から魚を入手していたとは考えにくい、ということもあり大方はこの説を否定しているようです。
"sardine"は「すし詰めにする」
ところで
"sardine"は動詞で「詰め込む、密に詰める」という意味があるのは......、そうですか、ご存知でしたか。
でも、その由来を一応紹介しておきますね。知ったかぶりのブログページですから。
「Sardine」が「密に詰め込む」という意味を持つ動詞として使われ始めたのは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのことだと言われています。初出は1889年のイギリスの辞典に記録されているそうです。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、サーディンの缶詰は世界中で人気を博し、その様子から「密に詰め込む」という意味で使われるようになったと考えられています。
現在一般的にある「オイルサーディン缶」はオリーブオイル漬けが主流ですが、19世紀後半当時はトマトソースや塩水漬けなど様々な味付けのサーディン缶が存在したそうです。マイワシ類だけでなく、イワシやコノシロなどの小型の魚も「サーディン」として缶詰されていました。
例文をあげておきます。
“The passengers were sardined into the crowded subway car during rush hour.”
「ラッシュアワー中、乗客たちは混雑した地下鉄車両にイワシのように詰め込まれていました。」
"The tourists were sardined into the crowded subway car, barely able to move."
(観光客たちは混雑した地下鉄の車両に密に詰められ、身動きが取れなかった。)
(観光客は混雑した地下鉄の車内に押し込められ、身動きするのもやっとだった。)
"We sardined ourselves into the tiny elevator, and it was quite a fragrant experience."
(私たちは自分たちを小さなエレベーターに密に詰め込んだので、それはかなり香り高い経験でした。)
(私たちは小さなエレベーターに乗り込みましたが)
"sardine"は「かくれんぼ」
では、「sardine」という名前の「かくれんぼ」があるのは......コチラもご存知かもしれませんが、進めます。日本のかくれんぼとは少し違うんですね。
「Sardine」は「かくれんぼ」の名としても使われますが、この用法の初出は1949年のアメリカで、子供向けのゲーム本に記録されているそうです。
英語圏でかくれんぼといえば「Hide-and-seek」ですが、「sardines」はその一種でしょう。「sardines」というかくれんぼもいろんなバージョンが有るようですが、一般的なのは次のような決まりです。
日本の伝統的なかくれんぼと違い、1人だけが隠れ、他の子どもたちが隠れた子を見つけなければならない。それで、見つけた人は、その場所に一緒に隠れることになります。これを繰り返して、最終的には1人以外の全員が1つの場所に隠れることになります。、最終的に残った1人が敗者で、次のラウンドの隠れ役となるというルールです。
隠れ場所は例えばワードローブなどで、サーディン缶詰のように狭い空間にぎっしりと人が隠れる様子からこのゲーム名となったようです。隠れ場所は、人数が増えて徐々に狭くなっていき、密に詰められたサーディン状態になるわけですから、どちらかといえば室内での遊びです。日本のかくれんぼは室内室外どちらでもおこないますね。
「Sardine」というかくれんぼは「 Smee」とも言わるようです。
怪奇小説で有名なイギリスのA・M・バレイジ(Alfred McLelland Burrage、1889年 - 1956年)という作家にその名も『Smee』 という作品があり、このかくれんぼ(Sardine)にも触れています。⇓
Virtual Thrilling Tales: Smee by A.M. Burrage
If things got too scary, they might lighten the mood with party games, such as Hide and Go Seek.
One of my own favorite party games is a variation on Hide and Seek – we called it Murder, and I’ve
played it in darkened houses, libraries after hours, and empty theaters at midnight. The game goes by
other names as well – I’ve heard it called Sardines, and it is also known as Smee. Ever played it? It is
marvelous fun. Let me tell you all about it. (太字下線は当ブログによる)出典:https://www.spl.org/Seattle-Public-Library/documents/transcriptions/2020/20-12-03_Smee.pdf
バーチャル・スリリング・物語 「Smee (スミー)」A.M.バレイジ・著
怖くなりすぎたら、かくれんぼのようなパーティーゲームで雰囲気を和ませることもある。
私自身のお気に入りのパーティーゲームのひとつは、「かくれんぼ」のバリエーションだ。
「Murder(殺人事件)」と呼んでいて、真っ暗な家、閉館後の図書館、真夜中の誰もいない映画館でプレイしたことがある。このゲームには別の名前もあるーSardines(イワシ)」と呼ばれることもあるし、「Smee(スミー)」と呼ばれることもある。プレイしたことはありますか?それはとても楽しいよ。全部教えてあげよう。(和訳はDeepl)
↑短い文中に、このかくれんぼ(Hide and Seek)の名前が物騒なものも含めいくつもでてきます。
Murder(殺人)、Smee、Sardines 。
「Murder」という名前は、探偵は犯人を見つけ出して犯行を止めるという、このかくれんぼのストーリー性から名付けられたのではないかと考えられます。近年では、暴力的なイメージを避けるために、「Mystery」や「Detective」などの名称に変更される場合もあるそうです。
イワシ、知ったかぶり トリビア:銀色に輝く小さな巨人
ここまでお伝えしてきましたように、イワシは古くから人々に親しまれてきた魚です。「鰯」という漢字は「魚」と「弱」が組み合わさった国字です。イワシという名前も「弱し」(よわし)が➜「いわし」に転訛したという説もあります。ですが、実際には小回りが利き、敏捷な動きで天敵から逃れる力強い魚です。
では、なぜこのような漢字になったのでしょうか?
イワシは大量に群れて動きます。それで、網ですくいやすい魚として知られていましたから、弱い魚だと捉えられていたのかもしれません。あるいは、その柔らかい魚体は傷つきやすいので弱い魚だとかんがえたとか...。いずれにしても古人たちの鰯に対するイメージ的なものから「弱い魚」という漢字になったようですね。
さて当記事の最後となるこの項では、鰯の漢字に限らずイワシのトリビア的あれこれを掲げて、締めくくりといたします。長々と駄文にお付き合いいただきありがとうございました。もう少しのご辛抱です。
イワシは本当に弱し? 鰯・名前の由来
イワシの語源について「弱し」(よわし)が➜「いわし」に転じたという説があると前述しましたが、次の古い書物にもその説が載っています。
■「イワシは弱し也。その水を離れぬれば、たやすく死するをいふ也」
新井白石・『東雅』(とうが)(1717年享保2年)
(新井白石 あらい はくせき / 1657年ー1725年 / 江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者)
『東雅』は中国の『爾雅』(じが)》に倣って,《和名類聚抄》にみえる物名について語義の解釈をしたもの。[天文]、「地輿」、「神祇」、「人倫」、「天地」などと分類され20巻からなる。
■「イワシはヨワシの転ずるにて、この魚至って脆弱なる故になづく」
武井周作・『魚鑑』(うおがかみ)(1831年天保2年)
(武井周作 たけい しゅうさく、生没年不詳 / 江戸時代後期に活動の医師、本草家)
『魚鑑』は2巻からなる生活実用書。魚の和名や地方名、俗称、産地、形態生態、それに調理法等までも掲載されている。
このように昔からイワシはヨワシ(弱し)の音変化だという説が有力だったようです。
別の説では「イヤシ」(賤し)から変化したとものがあります。つまり下々が食する下魚であったから、「賤しい魚」、つまり「賤し」の意味だと言うのです。あの貝原益軒もこの節です。⇓ また、「獲れた後すぐ死ぬから「弱し」だと付け加えてもいます。
■「いやし也。魚の賤き者也。或日、よはし也。とりてはやく死るゆへ也」
貝原益軒・『日本釈名』(にほんしゃくみょう)(1699年・元禄12年 成立 翌年刊行)
貝原 益軒(かいばら えきけん、1630年 - 1714年 / 江戸時代の本草学者,儒学者)
『日本釈名』は3巻からなる江戸中期の語源辞書。後漢の劉熙 (りゅうき) の「釈名」に傚う書。和語を23項目に分類して五十音順に解説。 十三「魚類」の中「海鰛」(いわし)にに↑の説明があります。
どうも「ヨワシ」説が有力なのですが、ウェブの『語源由来辞典』によりますと「イワシ」が「ヨワシ」になるような例、つまり第一音節の「よ」が「い」へ音韻交替はイワシ以外に例がないそうです。(語源由来辞典:https://gogen-yurai.jp/iwashi/)だからといって、ヨワシ説を否定しているわけでもないのですが......。
イワシが群れで泳ぐ理由:敵から身を守るための戦略
イワシは、数千匹から数万匹もの大群で泳ぐことで知られています。これには、連中なりの理由があるようです。この群れは、「魚群(ぎょぐん)」と呼ばれ、イワシにとっては生存に不可欠な戦略なのです。
- 敵から身を守る
単独で泳ぐと、サメやマグロなどの大型の魚に狙われやすいので、群れで泳ぐことで獲物と捕食者の区別がつきにくくなり、敵に攻撃されにくくなります。 - 餌を見つけやすくする
プランクトンなどの餌となる微生物は、海中に広く分散しています。群れで泳ぐことで、イワシは広い範囲を効率的に探索し、餌を見つけやすくなります。
- 情報伝達
イワシは、群れでの動きを通じて、敵の接近や餌の情報などを共有することができます。これは、群れの生存確率を高める重要な役割を果たします。
このように、群れで泳ぐことは、イワシにとっては重要なことなのですが、富山湾の知り合いの漁師さん曰く、「今年(2024年)の春もイワシの大群がきて、その間は他の(高級)魚がとれない」と嘆いていました。昨今はイワシだってさほど安い魚ではないのだから、捕れればいいのではないかと思いましたが、そういうことでもないらしいですね。
イワシ 大量漂着の謎:様々な要因が複雑に絡み合う
また"イワシの大群"が漂着…港が一面埋め尽くされる 海で何が?北海道で相次ぐ大量出現 「コンブ作業」へ影響懸念する声も (Yahoo!ニュース2024/配信より)
近年、イワシの大量漂着が各地で問題になっています。その原因を調べてみたのですが、複合的な要因が絡み合っており、一概には断言できません。主に以下の3つが考えられるそうです。
- 海水温の変化
近年、地球温暖化の影響で、海水温が上昇しています。イワシは水温の変化に敏感な魚であり、海水温が急激に変化すると、体調を崩し、死んでしまうことがあります。
- 赤潮
赤潮は、プランクトンの異常繁殖によって起こる現象です。イワシはプランクトンを餌としているため、赤潮が発生すると餌不足になり、大量死につながることがあります。
- 酸欠
酸欠は、海水中の酸素濃度が低下する現象です。酸欠が発生すると、イワシは呼吸ができなくなり、死んでしまいます。酸欠に至る原因も様々で、赤潮。青潮の発生から逃げ切れずに酸欠になることや、他の魚の群れに追い詰められた場合などもあるそうです。
これらの要因が単独で起こる場合もあれば、複合的に起こる場合もあり、大量漂着のメカニズムは複雑です。
知ればもっと好きになる! イワシのトリビア
- イワシは短命?
イワシは、一般的に1~2年しか生きません。しかし、中には3年以上生きる個体もいるそうです。
- イワシは脳みそが大きい?
イワシの脳みそは、体長の約2%と、他の魚に比べて大きいと言われています。そのため、学習能力や記憶力が高いと考えられています。
- イワシは夢を見る?
イワシは、眼球が動くことから、夢を見ているのではないかと考えられています。
- イワシの栄養価は?
イワシには、DHA(ドコサヘキサエン酸)とEPA(エイコサペンタエン酸)と呼ばれる不飽和脂肪酸を豊富に含まれています。これらの脂肪酸は、血液をサラサラにし、コレステロール値を下げる効果があることが知られています。また、脳の機能を維持したり、生活習慣病の予防に役立つとも言われています
秋の訪れを告げる美しい雲:いわし雲
いわし雲は、秋によく見られる上空の雲です。
■ いわし雲の特徴
- 小さな白い雲が規則正しく並んでいるように見える
- まるで魚の鱗のような模様をしている
- 秋の上空に広がることが多い
■ いわし雲の形成
いわし雲は、上空5,000~13,000メートル付近にできる巻積雲(けんせきうん)の一種です。巻積雲は、大気の波によって形成されます。
大気が上昇するときに冷やされ、水蒸気が凝結して小さな雲ができます。これらの雲が風に運ばれて規則正しく並ぶことで、いわし雲のような模様が現れるのです。
■ いわし雲と天気
いわし雲が出ると、半日~1日後に雨が降ると言われています。これは、いわし雲が上空の寒気や低気圧の接近を知らせるサインだからです。
■鰯(いわし)は秋の季語です。子季語(こきご)として弱魚、真鰯、鰯売、鰯干す、などがあります。そんな秋の日に「いわしの日」があるんです。10月4日。104が「いわし」だって。「大阪府多獲性魚有効利用検討会」が提唱し、いわし食用化協会(現 いわし普及協会)が1985年(昭和60)に制定。
ナザレのいわし
ポルトガルのナザレという港町を歩いていたら、アパート前の歩道に七輪のようなものを出して、2、3種の青ざかなを網焼きしているおばさんがいた。焼き上がったら、きっとオリーブオイルぶっ掛けて喰うんだろうね。
日本の話しですけれどイワシ、サバ、アジの3種をブルースリーっていうんですって。青魚3種、ブルー(blue 青)+スリー(3)、だって。
ナザレはイワシの炭焼きが名物です。↓↓
この記事の参考書
■塚本邦雄・著『ほろにが歳時記』ウエッジ選書
■小柳輝一・著『たべもの歴史散策』時事通信社
■清水桂一・著『たべもの語源辞典』東京堂出版
■呉智英・著『言葉の常備薬』双葉文庫
■その他